17 2018

人はいつから歌うようになるのか。

ふとした疑問を垂れ流すシリーズ。
シリーズ? まあいいや。








歌。
改めて考えると、「歌」を説明するのって難しいな。
高さの違う音を組み合わせて、また、リズムやテンポを付けた音の規則的な集合。
それを人の言葉と声で表現したもの。即ち、歌。

広義には、特に日本においては旋律や音階を(必ずしも)前提としない短歌も「歌」の一種である。
と言うか、日本ではこの短歌をこそ歌と呼んだ。



話は脱線するが、国学者として有名な、歴史の教科書には必ず登場する本居宣長は、短歌の研究者でもあった。
宣長は倫理を重視しつつも、人の心が必ずしも倫理だけに縛られるものではないことを説いた。
例えば、不倫や不義密通などは許されないと断じる一方で、しかしその心自体は人の心として仕方のないものであると。
してはいけないこと、悪。
それが悪とされる道ならぬ恋であったとしても、恋をしてしまう心を止めることができない。
恋してしまう心は、人の心として自然であると。

だから人は、歌うのだ、と。

道ならぬ恋、許されぬ思い。
その心のままに行動すれば、それは悪にもなり得る。
してはならないという倫理と社会規範、それに反する人の心。
その葛藤を、歌に込める。
悪に手を染めるのではなく、その心を歌に詠む。
だから人は歌うのだ。





今日では、歌と言えばミュージックである。
「歌」というものの根底に流れる何かは、宣長の言うようなままならぬ思い、許されざる恋を通奏低音としながら万葉の昔から変わることなく流れ続けているのかもしれない、が。
それはともかく。

人は、いつから歌を歌うようになるんですかね。

例えばの話、私は音楽が大好きだ。
音楽なしの生活など考えられない。
気に入った曲は、歌詞の有無にかかわらず口ずさんだりもする。

さて、ここでふと疑問に思う。
覚えている曲を口ずさむなんてことは、特に難しいことではない。
いちいち意識してやることではない。
が、よくよく考えてみると、意外と複雑な過程があるように思える。

曲を口ずさむためにまず必要なのは、その旋律を記憶すること。
お気に入りの曲が頭の中で流れる、なんて話は音楽好きならば誰でも経験があるもの。
その状態は、一部であるか全部であるかはともかく「曲を覚えている」「記憶している」と言える。

では、これを自らの口と発声器官を持って再現する。
記憶の中の曲をなぞるように、声帯を震わせ音を奏でる。
極度の音痴でなければ、誰でもできることである。
ここは全く意識しない。

けどちょっと待て。
私はこの時、どうやって記憶の中の旋律を再現しているのだろう?
記憶の中の曲をなぞるなどと私は簡単に言ったが、そこにどんなメカニズムがあるのか。
ふと気になったのはここだ。

記憶の中の旋律を発声で再現するのならば、自らの発声を知り尽くしている必要がある。
そのやり方を意識することはないし説明することも難しいが、「こうすればこのくらいの高さの声が出る」ということを私達は熟知しているわけだ。
音階など考えずに「甲高い声を出せ」と言われれば「自分が思うところの高い声」を出すことはできる。
これは音痴でもできる。

発声だけでなく、言葉を喋ることに関しても、言葉を話して聞いてきた経験がデータベースとなって頭の中のどこかにあるんだろう。
私達は、無意識にそのデータベースを参照しながら、言葉を紡ぎ音を奏でていると考えることができよう。

という仮説に基づくのであれば、そのデータベースがないならば、旋律を口で再現することはできないということになる。
言葉と歌とを混同して考えていいものかわからんが、ともあれ、歌に絞って考えていこう。



一切の経験値がない人間。
生まれたばかりの赤ん坊。
多分、生後間もない赤ちゃんは歌わないはず。
何しろ、発声に関するデータベースがない。
どうすればどのくらいの高さの声が出るかなんて知らないはずだ。
無論、赤ん坊とは泣き叫ぶのが仕事と言えるほど泣く。
生まれた直後から続けている「泣く」という発声、それは確実に脳内でデータベース化されるに違いない。
本人に自覚があるかどうかはともかく。
と言うか、自覚的にできるのであれば、今私は声の出し方を無意識ではなく意識的に自覚できるはずだな。
まあ、それはどうでもいいが。

小学校一年生くらいならどうか。
これは確実に歌うな。
テレビで流れる流行りの歌を覚えて歌うくらいは簡単にできるはずだ。
音程があってるかどうかはともかく。
学校の授業でも歌うだろうし。
私自身もその頃には歌ってた。



人は、いつから歌うのか?

それが特定できるなら、つまり、記憶した音階や旋律を出力するだけのデータベースがいつ脳内に出来上がるかを特定できるということにもなる。
言語の習得時期と、それは違いがあるのか。
色々考えているととても興味深い。



ここまで考えてから、グーグル先生にお伺いを立ててみた。
さて、どんな聞き方をすればいいだろう?
私がチョイスした検索ワードは、「赤ちゃん」「歌う」。

これが、ドンピシャで私の知りたいものを当ててくれたんだな。
グーグル先生が偉大なのか、あるいは私の検索の仕方が上手いのか。

そんなわけで、見つけた記事を紹介。

赤ちゃんはいつ頃から歌い始めるか?

興味を持ってくれたなら、是非記事を熟読されたし。



さて、記事では赤ちゃんが言葉を話し始める(初語)のは生後12ヶ月くらいから、ということだ。
この段階での成人に対するアンケート「話しているように聞こえるか」「歌っているように聞こえるか」は非常に興味深い。
およそ半数くらいの割合で「歌っているように聞こえる」らしい。
もちろん、この結果を以って「赤ちゃんが歌っている」とするのは難しいだろう。
あくまで「成人が聞いた時に歌っているように聞こえる発声をしている」に過ぎない。

これが16ヶ月ともなると、確実に「歌っている」と判断できる発声をするようになる。
これも記事を参照して欲しい。



私の疑問である「人はいつから歌うのか」の一つの答えがここにある。
生後16ヶ月ほどで、人間は歌うことができるようになる。
記憶の中にある特定の旋律を、自分の発声器官を使って再現できるようになるのが、生後16ヶ月。
それは正確な再現ではないかもしれないが、少なくとも、それを試みる、ないしは試みることができるようになるのが生後16ヶ月ということにはなろう。

よくよく考えてみると、これって結構すごいことなんじゃないかと思える。
言葉らしきものを発声するのが、12ヶ月。
歌はその4ヶ月後。
16ヶ月の言語能力などそこまで大したものではない。
言葉を扱い始めるのとそんなに変わらない時期に、もう歌さえも歌えるようになってしまう。
子供の吸収力は物凄いって話はよく耳にするけど、この段階で既に自分の発声とその発声法に関するデータベースが出来上がりつつある、ないしは、データベースの構造が完成していると言えばいいのか。
データベースの器がこの時期にほぼ完成して、あとは中身たるデータを注ぎ込むのみ。
データの入出力に関する構造は生後12~16ヶ月でほぼ完成しているわけだ。



言葉も歌も、幼い時期から獲得している能力。
能力って言っていいのかわからないけど。
でも、それだけ、言葉や歌、あるいは音楽が私達の生活には身近なもので、そしてきっと大切なものなんだろう。

今でこそ、音楽はどこでも聴ける。
だけど、通信や交通が発達していなかった時代には、楽器演奏を聴く機会などごく僅かだったに違いない。
それでも、音楽は人類史の最初期からあった。
楽器がなくても、旋律は紡げる。
ヒトの発声器官は、それなりに優秀だ。
赤ん坊ですら、かなり早い段階で歌い出す。
それは、人類にとって音楽がどれほど身近で重要なものだったかを証明するかのようだ。

重要、という言い方をしたけれど、これは少し違和感がある。
人類にとって音楽が重要だったと言うよりは、それほど、ヒトは音楽を愛してきたということではないかと思う。



きっと人類は、滅びを迎えるその時まで、歌い続けるのだろう。
音楽を、歌を、愛し続けるのだろう。
そんな気がした。



スポンサーサイト

0 Comments

Leave a comment